物理学においては、スピノル成分をグラスマン数という数であるとして考える。グラスマン数とは簡単に言うと、掛け算が反可換な数($ab=-ba$)である。ここでは、グラスマン数の性質について詳しく見ておく。
グラスマン数の必要性
グラスマン数の詳細に入る前に、なぜスピノル成分をグラスマン数として扱わなければならないのかについて言及しておく。これは以下のような経緯で要請されたものである。
まず、相対論的量子力学の中でディラック方程式が登場し、スピン1/2の1粒子の運動を記述できるようになった。運動を記述する波動関数はスピノルで表される。この段階ではスピノル成分は複素数によって表された。
相対論的量子力学で扱えるのは1つの粒子の運動だった。しかしその後、場の量子論が登場し、多粒子系の扱いが理論的に整備された。このとき、粒子の統計性という概念が現れ、粒子はボーズ粒子とフェルミ粒子の2種類に分類された。ボーズ粒子は生成消滅演算子に交換関係課すことで、フェルミ粒子は反交換関係を課すことで量子化された。そして、スピン統計定理により、ボーズ粒子は整数スピンをもち、フェルミ粒子は半整数スピンをもつことが要請された。さらに、数学的要請から、整数スピンの粒子はテンソル場で、半整数スピンの粒子はスピノル場で表現された。
場の量子論を経路積分で考えるとき、場の演算子は波動汎関数として扱うことになる。ボーズ粒子の場合、場の演算子が交換関係のもとで量子化されていたから、対応する波動汎関数は単なる数(複素数)となる。一方、フェルミ粒子の場合、場の演算子が反交換関係のもとで量子化されていたから、対応する波動汎関数は反交換する数(グラスマン数)となる。
したがって、経路積分で場の量子論を扱うときには、スピノル場の成分をグラスマン数として扱う必要がある。
グラスマン代数・グラスマン数の定義
体$K$上の$n$次元ベクトル空間$V$があるとして、集合$G$で、以下の条件をみたすものをグラスマン代数という。
- $G$は$K$と$V$の要素を含み、$K$の零元と$V$の零元は同じとみなす。
- $G$ は演算$+$(和) , $\wedge$(ウェッジ積)が定義されている。$\wedge$に対しては単位元のない非可換環であり、体$K$上のベクトル空間である。特に和$+$については可換群である。またウェッジ積$\wedge$についてはさらに以下のように定義しておく:
\begin{align*} g \wedge g’=-g’\wedge g,\quad e_1\wedge\cdots\wedge e_n \neq 0. \end{align*} ただし、$g,g’$は$G$の元であり、$e_1,\cdots,e_n$は$V$の基底である。(この定義から明らかなように、$g\wedge g=0$である。これをべき零性という。) - $G$の要素は$K$の要素、$V$の要素、$V$の要素のウェッジ積で表される要素のみである。$K$の積の単位元を1と表す。
グラスマン代数の任意の要素$g$は、$V$の基底$e_1,e_2,\cdots,e_n$を用いると、 \begin{align} g=c^0+c^ie_i+c^{ij}e_i\wedge e_j+\cdots+c^{1\cdots n}e_1\wedge e_2\wedge\cdots\wedge e_n \label{g1} \end{align} と簡潔に表せる。ここで、$c^0, c^i, c^{ij}, \cdots, c^{1\cdots n}$は$K$の要素(係数)である。
$V$の基底同士のウェッジ積において、$\wedge$の記号を除いて書くと、例えば
\begin{align*}
e_ie_j=-e_je_i
\end{align*}
と、基底はあたかも反可換な”数”とみなせる。このように書いたとき、$G$において、$V$の$n$個の基底をグラスマン数またはa数という。特に、$K$として実数を取ったときを実グラスマン数または実a数、複素数を取ったときを複素グラスマン数または複素a数という。グラスマン代数は、「グラスマン数の和と積が$G$の中で閉じていること」と捉えられる。
グラスマン数は、高々$n$個の積しか与えられない。$n+1$個以上の積は、べき零性から0になってしまう。そこで、$n$を独立なグラスマン数の最大個数と呼ぶことにする。
グラスマン数を基底としてではなく、”数”として扱うことを強調するために、これからはグラスマン数を
\begin{align*}
(e_1,e_2,\cdots,e_n)\to(\mathcal{G}_1,\mathcal{G}_2,\cdots,\mathcal{G}_n)
\end{align*}
と書くことにする。なお、グラスマン数に対して、これまで扱ってきた普通の数(実数や複素数など)を古典数またはc数と呼ぶことにし、グラスマン数の積およびその線形結合から作られる\eqref{g1}式で表されるような量をe数と呼ぶことにする。本ブログでは、e数を$\mathcal{E}$の文字で表すことにする。
| c数 | これまで扱ってきた普通の数(実数や複素数など) |
| a数(グラスマン数) | グラスマン代数でウェッジ積$\wedge$の記号を省略するという規約の下での$V$の基底 |
| e数 | グラスマン代数の元(c数とa数を含む) |
グラスマン数の性質
グラスマン数の積
グラスマン数の偶数個の積はグラスマン数と可換なe数である。このような数をグラスマン偶なe数という。例えば、2つのグラスマン数の積$\mathcal{E}_e\equiv\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2$を考えてみる。これとグラスマン数$\mathcal{G}_3$との積は
\begin{align*}
\mathcal{E}_e\mathcal{G}_3=\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2\mathcal{G}_3=-\mathcal{G}_1\mathcal{G}_3\mathcal{G}_2=(-1)^{2}\mathcal{G}_3\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2=\mathcal{G}_3\mathcal{E}_e
\end{align*}
となり、可換である。
グラスマン偶なe数はその性質からc数でありそうだが、そうではない。例えば、先ほどの$\mathcal{E}_e$について、
\begin{align*}
\mathcal{E}_e^2=\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2=-\mathcal{G}_1\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2\mathcal{G}_2=0
\end{align*}
となるが、$\mathcal{E}_e$がc数だとするならばこれは$0$でしかない。しかし、$\mathcal{E}_e$は一般に0ではないため、これはe数として扱うべきである。
グラスマン数の奇数個の積はグラスマン数と反可換なe数である。このような数をグラスマン奇なe数という。(1つのグラスマン数もクラスマン奇なe数である。)例えば、3つのグラスマン数の積$\mathcal{E}_o\equiv\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2\mathcal{G}_3$を考えてみる。これとグラスマン数$\mathcal{G}_4$との積は
\begin{align*}
\mathcal{E}_o\mathcal{G}_4=\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2\mathcal{G}_3\mathcal{G}_4=\mathcal{G}_1(-\mathcal{G}_2\mathcal{G}_4\mathcal{G}_3)=(-1)^{2}\mathcal{G}_1\mathcal{G}_4\mathcal{G}_2\mathcal{G}_3=(-1)^{3}\mathcal{G}_4\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2\mathcal{G}_3=-\mathcal{G}_4\mathcal{E}_o
\end{align*}
となり、反可換である。
積の因子が3つ以上のグラスマン奇なe数はグラスマン数でありそうだが、そうではない。先ほどの$\mathcal{E}_o$がグラスマン数だとするならば、グラスマン数の定義より、$\mathcal{E}_o$と他のすべてのグラスマン奇なe数との積は反可換でなければならないが、
例えば、$\mathcal{E}’_o=\mathcal{G}_1$としたとき、
\begin{align*}
\mathcal{E}_{o}\mathcal{E}’_{o}
=\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2\mathcal{G}_3\mathcal{G}_1
=\mathcal{G}_1\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2\mathcal{G}_3
=0
\end{align*}
となるから、$\mathcal{E}_o$はグラスマン数ではない。
一般に、グラスマン数のいくつかの積が再びグラスマン数に戻ることはないし、グラスマン数の積からc数を作ることもできない。
グラスマン数の大きさ
グラスマン数の間に大小関係を定義することはできない。それは以下のようにして理解できる。
例えば、2つのグラスマン数$\mathcal{G}_1,\mathcal{G}_2$に対して、$\mathcal{G}_1>\mathcal{G}_2$なる不等式が成り立つとする。両辺に左から$\mathcal{G}_1>0$を掛けると、
\begin{align*}
\mathcal{G}_1\mathcal{G}_1>\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2
\quad\Longleftrightarrow\quad
0>\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2
\end{align*}
となる。一方、右側から$\mathcal{G}_1>0$を掛けると、
\begin{align*}
\mathcal{G}_1\mathcal{G}_1>\mathcal{G}_2\mathcal{G}_1
\quad\Longleftrightarrow\quad
0>\mathcal{G}_2\mathcal{G}_1
\quad\Longleftrightarrow\quad
0<\mathcal{G}_1\mathcal{G}_2
\end{align*}
となり、どちら側から$\mathcal{G}_1$を掛けるかによって矛盾した結果が得られてしまう$\mathcal{G}_1<0$として同じ計算を行っても、同様の矛盾が生じる。これは、$\mathcal{G}_1>\mathcal{G}_2$なる大小関係を設けることができないことを意味する。
実グラスマン数・複素グラスマン数
e数$\mathcal{E}$の複素共役$\mathcal{E}^*$を、c数にならって以下のように定義する。
- $a,b$を複素数、$\mathcal{E},\mathcal{E}’$をe数とするとき、 \begin{align*} \qty(a\mathcal{E}+b\mathcal{E}’)^*=a^*\mathcal{E}^*+b^*\mathcal{E}’^* \end{align*} が成り立つ。 (反線形性)
- 2回複素共役を取ると元に戻る: \begin{align*} \qty(\mathcal{E}^*)^*=\mathcal{E}. \end{align*}
- e数の積の複素共役は、積の順番が逆順になる: \begin{align*} \qty(\mathcal{E}\mathcal{E}’)^*=\mathcal{E}’^*\mathcal{E}^*. \end{align*} ($z\in\mathbb{C}$について、$zz^*$が実:$(zz^*)^*=(z^*)^*z^*=zz^*$であることに対応する性質を実現するため)
- 実グラスマン数$\mathcal{g}_r$は複素共役で不変である: \begin{align*} \mathcal{G}_r^*=\mathcal{G}_r. \end{align*}
任意の複素グラスマン数$\mathcal{G}_c$は、実グラスマン数$\mathcal{G}_r,\mathcal{G}_i$を用いて
\begin{align*}
\mathcal{G}_c=\mathcal{G}_r+i\mathcal{G}_i
\end{align*}
と書ける。これは、$n$次元複素ベクトル空間と$2n$次元実ベクトル空間が同一視できることから理解できる。(独立な実グラスマン数の最大個数を$2n$とするとき、独立な複素グラスマン数の最大個数は$n$である。)
複素グラスマン数$\mathcal{G}_c$の複素共役$\mathcal{G}_c^*$は、\begin{align*}
\mathcal{G}_c^*=\mathcal{G}_r-i\mathcal{G}_i
\end{align*}
である。
e数の積の複素共役が逆順に並ぶことから再帰的に、$m$個のグラスマン数の積の複素共役は、 \begin{align} \qty(\mathcal{G}_{1}\mathcal{G}_{2}\cdots\mathcal{G}_{m})^* =\mathcal{G}^*_{m}\mathcal{G}^*_{m-1}\cdots\mathcal{G}^*_{1}\label{comp conj grassman} \end{align} となる。これは行列のエルミート共役をとるのと似ている。
グラスマン数を成分にもつ行列のエルミート共役・転置
$A,B$を、グラスマン数または0を成分にもつ行列とする。このとき、積$AB$のエルミート共役と転置がどのようになるか見てみよう。
エルミート共役については、 \begin{align*} \qty(AB)^{\dag}_{ij} &=\sum_k\qty[\qty(A_{ik}B_{kj})^t]^*\\ &=\sum_k\qty(A_{jk}B_{ki})^*\\ &\text{(\eqref{comp conj grassman}式を使う)}\\ &=\sum_k B^*_{ki}A^*_{jk}\\ &=\sum_k B^{\dag}_{ik}A^{\dag}_{kj} \end{align*} より、 \begin{align*} \qty(AB)^{\dag}=B^{\dag}A^{\dag} \end{align*} である。
転置については、 \begin{align*} \qty(AB)^{t}_{ij} &=\sum_k\qty(A_{ik}B_{kj})^t\\ &=\sum_kA_{jk}B_{ki}\\ &=-\sum_k B_{ki}A_{jk}\\ &\text{(グラスマン数の反可換性を使った。)}\\ &=-\sum_k B^{t}_{ik}A^{t}_{kj} \end{align*} より、 \begin{align*} \qty(AB)^{t}=-B^{t}A^{t} \end{align*} である。
- 体とは四則演算が自由に行える集合のことである(実数、複素数など)。
集合$V$の要素を$u,v,w$とし、体$K$の要素を$a,b$とする。このとき、以下の条件をみたす$V$を$K$上のベクトル空間という。- $(u+v)+w=u+(v+w)$ (結合法則)
- $u+v=v+u$ (交換法則)
- ある0∈Vが存在して任意のvに対して$v+0=0$ (零元の存在)
- 任意の$v\in V$に対して$(-v)\in V$が存在して$v+(-v)=0$ (逆元の存在)
- $a(u+v)=au+av$ (分配法則1)
- $(a+b)v=av+bv$ (分配法則2)
- $a(bv)=(ab)v$ (結合法則)
- $1v=v \quad (1\in K)$ (単位元の存在)
- 環とは加法と乗法自由に行える集合のことである。
- 後者の定義は、ベクトル空間の基底の中には互いに同じ方向を向いているものがないことを規定している。
- $\mathcal{G}_1,\mathcal{G}_2$ではなく$a\mathcal{G}, b\mathcal{G}$であれぱ大小関係が定義できそうだが、結局は同様の議論を繰り返すことで$0>0$が導かれてしまい、破綻する。このようにグラスマン数に大小関係という概念はないと考えるのが妥当である。例えばべクトルのように$l=\sqrt{l_x^2+l_y^2}$で大きさを定義しょうとしても、べき零性から常に$l=0$となる。
参考文献
- 杉田勝実・岡本良夫・関根松夫, 経路積分と量子電磁気学, 森北出版, 1998
- グラスマン数と経路積分https://tobirayt.wixsite.com/string-theory/blank-2 弦理論 String Theory

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