スピノルとは、スカラー、ベクトル、テンソルといった、共変量と呼ばれる量の一種である。ここでは、スカラー、ベクトル、テンソルの座標変換による変換性を確認し、スピノルがその他の共変量とどのように異なるか概観する。
これまでに登場した共変量
これまで、物理量を記述するのに使ってきた量はスカラー、ベクトル、テンソルだった。これらは共変量と呼ばれるグループに属する。各共変量は座標変換によってどのように変化するかによって区別される。
以下、行列$M$による基底$\vec{a}_i$と座標$x^i$の座標変換を
\begin{align*}
\vec{a}_i\to \vec{a}’_i=\vec{a}_jM^{j}{}_{i},\quad
x^i\to x’^i=\qty(M^{-1})^{i}{}_{j}x^j
\end{align*}
と表記する。(座標成分$x^i$の組を$x$と略記する。)
スカラーは座標変換で値が変化しない量である:
\begin{align*}
\phi(x)\to\phi'(x’)=\phi(x).
\end{align*}
ベクトルは、その成分が座標変換で座標の成分や基底と同じように変換される量である:
\begin{align*}
W_i(x)&\to W’_i(x’)=W_j(x)M^{j}{}_{i},\\
V^i(x)&\to V’^i(x’)=\qty(M^{-1})^{i}{}_{j}V^j(x)
\end{align*}
座標成分と同じ変換を受けるベクトルの成分を反変成分、座標基底と同じ変換を受けるベクトルの成分を共変成分という。
$(m,n)$型テンソルは、その成分が座標変換で$m$個の反変成分と$n$個の共変成分の積$(V_1)^{i_1}(V_2)^{i_2}\cdots (V_m)^{i_m}(W_1)_{j_1}(W_2)_{j_2}\cdots (W_n)_{j_n}$
と同じ変換を受ける量である:
\begin{align*}
&T^{i_1 i_2\cdots i_m}{}_{j_1j_2\cdots j_n}(x)\\
&\to T’^{i_1 i_2\cdots i_m}{}_{j_1j_2\cdots j_n}(x’)\\
&=\underbrace{\qty(M^{-1})^{i_1}{}_{k_1}\qty(M^{-1})^{i_2}{}_{k_2}\cdots \qty(M^{-1})^{i_m}{}_{k_m}}_{\text{$m$個}}
T^{k_1 k_2\cdots k_m}{}_{l_1 l_2\cdots l_n}(x)
\underbrace{M^{l_1}{}_{j_1}M^{l_2}{}_{j_2}\cdots M^{l_n}{}_{j_n}}_{\text{$n$個}}
\end{align*}
ところが、共変量はこれで全てではない。もう1つ、これから紹介するスピノルという量が存在する。
相対論的な電子の波動方程式
スピノルは電子の波動関数を考える際に導入された。ここでは、スピノル導入までを概説する。
量子力学では、量子の非相対論的な運動がシュレーディンガー方程式によって記述された。シュレーディンガー方程式は、時間について1階、空間について2階の微分方程式だった。そのため、量子力学を、時間と空間を等価に扱う特殊相対論に組み入れるには困難が生じた。
そこで、ディラックは、時間と空間について共に1階であるような新しい波動方程式を構築した。それが以下のディラック方程式である:
\begin{align*}
\qty(i\hbar\gamma^{\mu}\del_{\mu}-imc)\psi(x)=0
\end{align*}
ただし、$\hbar$はディラック定数、$\gamma^{\mu}$はガンマ行列(通常$4\times 4$行列)、$m$は粒子の質量、$c$は光速、$\psi(x)$は粒子の波動関数(通常$4\times 1$行列)である。ディラック方程式を解くことで、ゼーマン効果や$g$因子の値など、実際の電子のふるまいを非常によく説明できる。
特殊相対論で扱われる座標変換は、ローレンツ変換:$x^{\mu}\to x’^{\mu}=\qty(\Lambda^{-1})^{\mu}{}_{\nu}x^{\nu}$である。ディラック方程式もその他多くの運動方程式と同様に、ローレンツ変換に対して共変であってほしい。そのとき、電子の波動関数$\psi(x)$の座標変換が、何らかの$4\times 4$行列$S_{\Lambda}$によって
\begin{align*}
\psi(x)\to\psi'(x’)=S_{\Lambda}^{-1}\psi(x)
\end{align*}
と表わされるとしよう。
このとき、ローレンツ変換後のディラック方程式は
\begin{align*}
\qty(i\hbar\gamma^{\mu}\del’_{\mu}-imc)\psi'(x’) &=\qty(i\hbar\gamma^{\mu}\del{\nu}\Lambda^{\nu}{}_{\mu}-imc)S_{\Lambda}^{-1}\psi(x)\\
&=S_{\Lambda}^{-1}\qty(i\hbar S_{\Lambda}\gamma^{\mu}S_{\Lambda}^{-1}\Lambda^{\nu}{}_{\mu}\del_{\nu}-imc)\psi(x)
\end{align*}
と書ける。
ここでもし、$S_{\Lambda}$が
\begin{align}
S_{\Lambda}\gamma^{\mu}S_{\Lambda}^{-1}=\qty(\Lambda^{-1})^{\mu}{}_{\nu}\gamma^{\nu}\label{S def}
\end{align}
をみたすならば、
\begin{align*}
S_{\Lambda}^{-1}\qty(i\hbar S_{\Lambda}\gamma^{\mu}S_{\Lambda}^{-1}\Lambda^{\nu}{}_{\mu}\del_{\nu}-imc)\psi(x)
&=S_{\Lambda}^{-1}\qty(i\hbar\qty(\Lambda^{-1})^{\mu}{}_{\rho}\gamma^{\rho}\Lambda^{\nu}{}_{\mu}\del_{\nu}-imc)\psi(x)\\
&=S_{\Lambda}^{-1}\qty(i\hbar\delta^{\nu}_{\rho}\gamma^{\rho}\del_{\nu}-imc)\psi(x)\\
&=S_{\Lambda}^{-1}\qty(i\hbar\gamma^{\mu}\del_{\mu}-imc)\psi(x)
\end{align*}
となり、ディラック方程式は共変的である。
本義ローレンツ変換1に対して、\eqref{S def}式をみたすような$S_{\Lambda}$を求めると2、
\begin{align*}
S_{\Lambda}=\exp\qty[\frac{1}{4}\lambda_{\mu\nu}\gamma^{\mu\nu}],
\quad\qty(\gamma^{\mu\nu}\equiv\frac{1}{2}\qty[\gamma^{\mu},\gamma^{\nu}])
\end{align*}
となる。
本義ローレンツ変換に際して、このような行列$S_{\Lambda}$をかけることで変換される量は、スカラー、ベクトル、テンソルの中には見当たらない。即ち、この電子の波動関数$\psi(x)$はこれらのいずれにも属さない量である。この新しい量はスピノルと呼ばれる。

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